9月9日はカーネルズ・デー!KFC創業者カーネル・サンダースの波瀾の人生!

146.9月9日はカーネルズ・デー!KFC創業者カーネル・サンダースの波瀾の人生!

9月9日は、ケンタッキーフライドチキンの創業者カーネル・サンダースの誕生日
(1890年生まれ)であることを記念して、日本ケンタッキーフライドチキン株式会社が
制定した”カーネルズ・デー”になっています。

日本ではカネールおじさんとしておなじみですが、
今回はカーネル・サンダースの波瀾の人生を紹介していきたいと思います。

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小卒で転職40回以上

カーネル・サンダースの本名は「ハーランド・デーヴィッド・サンダース」と言い、
カーネル”という名は、後にケンタッキー州から与えられた称号ですが、
ここでは分かりやすく最初からカーネルと呼ばせて頂きます。

カーネルは1890年にアメリカ・インディアナ州に3人兄弟の長男として生まれ、
6歳の時に父を亡くし、女手一つで育ててくれた母親を幼いころから支えていました。

しかし、母親が再婚してからは義父と上手くいかず、中学を辞めて家出し、
30歳目前でガソリンスタンド経営を始めるまでは、
実に40回以上もの転職を繰り返したと言われています。

ただし、カーネルがそれほど転職を繰り返したのは、
彼がダメ人間だったからではありません。

むしろカーネルは、非常に正義感が強くて仕事もできる優秀な人物で、
その正義感の強さがゆえに職場で煙たがられ、解雇される事も多かったのです。

30歳 ガソリンスタンド経営で窓拭きのサービスを考案

そんなカーネルにとって大きな転機となったのが、
30歳目前にして、知り合いから勧められて始めたガソリンスタンド経営です。

当時のアメリカでは、大衆車が爆発的に普及していた時代で、
この時のガソリンスタンドの経営は、正に時代を捉えたものだったのです。

そして、「顧客に最高のサービスをすること」を経営哲学としていたカーネルは、
徹底した無料サービスを導入し、今や日本でも当たり前となっている
ガソリンスタンドの窓拭きのサービスを考案したのも、カーネルだと言われています。

もちろん当時は、周りにそこまでのサービスを行うガソリンスタンドは無かったので、
評判が評判を呼び、カーネルのガソリンスタンドは大繁盛となりました。

39歳 世界大恐慌の煽りを受ける

しかし1949年、後に「暗黒の木曜日」と呼ばれた10月24日から始まった
世界大恐慌が、カーネルの経営するガソリンスタンドにも襲い掛かります。

これによって旅行者は激減し、ツケ払いをしていた近所の住人からも
代金を回収することができず、カーネルは店を手放すことになってしまいます。

しかし、40歳を目前にして店が倒産してしまったカーネルは諦めず、
これまでニコラスビルで行っていたガソリンスタンド経営を、
ノースコービンに移して、再びガソリンスタンドの経営を始めたのでした。

当時のノースコービンは、複数の道の交わる拠点となっていたため、
ここでの経営は上手くいくだろう着目したのです。

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49歳 自分の店が火事で全焼

カーネルは独特の広告戦略を打ち出し、そのかいもあって、
再びガソリンスタンド経営は順調に進んでいきます。

そして、思い付きでガソリンスタンドに小さなレストラン
”サンダース・カフェ”を開業したところ、
これも評判となり、さらに店の規模を広げていくことができました。

ちなみに、このサンダース・カフェで好評だったのが、”フライドチキン”です。

また、この評判のサンダース・カフェに力を注ぐため、
カーネルはガソリンスタンド経営を他人に売り払い、
代わりにモーテルの経営も手掛け、ここでも成功を収めます。

そして49歳の時、カーネルが経営するレストランとモーテルが
火事によって全焼してしまいますが、ここでも諦めることなく再起し、
今度はサンダース・カフェの経営一本に絞って、再び再起を果たしたのでした。

65歳 高速道路建設によりホームレス状態に

カーネルの波瀾の人生はまだまだ続きます。

1955年、コービンの町外れを高速道路が通るようになると、
今度は人と車の流れが変わってしまい、
カーネルの経営するサンダース・カフェには客が入らなくなってしまったのです。

カーネルは店を維持することができず、またもや店を手放すこととなってしまい、
負債を返済したカーネルの手元には、フライドチキンのレシピしか残りませんでした。

この時すでに65歳になっていたカーネルには、年金も支給されていましたが、
とても生活できるような額ではなかったようです。

そして、カーネルは再び再起を誓って動き出し、
ついにフランチャイズビジネスに着手したのでした。

73歳 KFCのフランチャイズが600店を超える

カーネルはフライドチキンのフランチャイズ化のため各地を回りましたが、
わずかな年金でチキンとガソリンを買い、ホテルに泊まる事はできず、
車中泊を繰り返していたと言われています。

しかも、フランチャイズ化の普及も決して順調に進んだわけではなく、
営業をかけて周ったレストランには、1000軒以上も断られたそうです。

まぁこれは考えてみれば当然の事かもしれませんが、
それだけに65歳を超えてから、車中泊しながらの営業活動を続けた
カーネルの不屈の闘志は凄いとしか言いようがありません。

そして、カーネルの地道な活動が功を奏し、1964年カーネルが73歳の時には、
600店舗を超えるフランチャイズ網が出来上がっていたのです。

その後のカーネルは経営の第一線から退いたものの、
自分の製法が守られているかを確認するために世界各地の店舗を周り、
会社の広告塔として働き続けていきました。

”日本びいき”だったカーネルおじさん

カーネルは日本にも1972年10月・1978年6月・1980年5月の3度訪れており、
しっかりとマニュアル通りに作ってくれる
日本のKFCが一番のお気に入りだったようです。

自らフランチャイズ化の営業をしていた時から、
喉から手が出るほど契約が欲しかったにも関わらず、
レシピを守らないレストランとは契約を解除するほどの徹底ぶりだったのです。

また、日本国内の店舗前に飾られている
自分の人形も非常に気に入っていたと言われています。

そして1980年5月に訪れた日本は、カーネルにとって最後の訪問国となり、
同年6月に急性白血病を発症して肺炎を併発し、12/16に90年の生涯を閉じたのでした。

カーネルおじさんから学ぶべき二つの人生哲学

カーネルおじさんこと、カーネル・サンダースは
僕の尊敬する人物の一人でもあります。

僕がカーネルを尊敬する一つ目の理由は、
顧客に最高のサービスをすること」という、その経営哲学です。

「お・も・て・な・し」という言葉が流行するように、
日本は世界で最も素晴らしい接客で知られていますが、
カーネルも似たような精神を持っていたというのが、なんとなく嬉しく感じました。

また、ガソリンスタンドで行われている
窓拭きサービスの考案者だったというのにも単純に驚きました。

そして、もう1点は、何よりもその不屈の闘志です。

やはり人生色々ありますので、上手くいかない時も多々ありますが、
カーネルの乗り越えてきた壁と比べると、
自分が抱えてきた苦難など小さすぎて情けなく感じてしまうほどです。

9月9日はカーネルズ・デーということなので、そんなカーネルに敬意を表して、
僕はケンタッキーフライドチキンを食べようと思います。

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