カーネルサンダースの起業物語!学べる2つの人生哲学とは?

カーネルサンダースの起業物語!学べる2つの人生哲学とは?

今回はケンタッキーフライドチキン創業者であるカーネル・サンダースの起業物語を紹介します。

今でこそ世界中で知られているケンタッキーですが、カーネルおじさんの人生は決して順風満帆ではありませんでした。何度も成功を掴みかけたところでどん底に突き落とされてしまうという、波瀾に満ちた人生だったのです。

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カーネルサンダースの起業物語

小卒で転職40回以上

カーネル・サンダースの本名は「ハーランド・デーヴィッド・サンダース」と言います。『カーネル』という名は後にケンタッキー州から与えられた称号ですが、ここでは分かりやすく最初からカーネルと呼んでいきます。

カーネルは1890年にアメリカ・インディアナ州に3人兄弟の長男として生まれました。6歳の時に父を亡くし、女手一つで育ててくれた母親を幼いころから支えていましたが、母親が再婚した義父と上手くいかず中学を辞めて家出をします。

30歳目前でガソリンスタンド経営を始めるまで40回以上も転職を繰り返したようですが、カーネルが何度も転職を繰り返したのは彼がダメ人間だったからではありません。

むしろ、カーネルは非常に正義感が強くて仕事もできる優秀な人物で、その正義感の強さがゆえに職場で煙たがられ、解雇される事も多かったのです。

30歳:ガソリンスタンド経営

カーネルにとって大きな転機になったのが、30歳目前にして知り合いから勧められて始めたガソリンスタンド経営です。当時のアメリカは大衆車が爆発的に普及していた時代で、この時のガソリンスタンド経営は正に時代の流れを捉えたものでした。

「顧客に最高のサービスをすること」を経営哲学としていたカーネルは、徹底した無料サービスを導入します。今や日本でも当たり前となっているガソリンスタンドの窓拭きのサービスを考案したのもカーネルです。

当時は他にそこまでのサービスを行うガソリンスタンドは無かったので、カーネルのガソリンスタンドは大繁盛となったのです。

39歳:世界大恐慌の煽りを受ける

1949年、後に「暗黒の木曜日」と呼ばれた10月24日から始まった世界大恐慌が、カーネルの経営するガソリンスタンドにも襲い掛かります。旅行者は激減し、ツケ払いをしていた近所の住人からも代金を回収することができず、カーネルは店を手放すことになってしまいます。

しかし、40歳を目前にして店が倒産してしまったカーネルは諦めず、これまでニコラスビルで行っていたガソリンスタンド経営をノースコービンに移して、再びガソリンスタンドの経営を始めたのでした。

当時のノースコービンは複数の道の交わる拠点となっていたため、ここでの経営は上手くいくだろう着目したのです。

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49歳:自分の店が火事で全焼

カーネルは独特の広告戦略を打ち出し、そのかいもあって再びガソリンスタンド経営は順調に進んでいきます。

思い付きでガソリンスタンド内に開業した小さなレストラン『サンダース・カフェ』も評判となって、さらに店の規模を広げていくことができました。ちなみに、このサンダース・カフェで好評だったのが『フライドチキン』です。

カーネルは評判のサンダース・カフェに力を注ぐためにガソリンスタンド経営を売り払い、代わりにモーテルの経営も手掛けて、ここでも成功を収めます。

そして49歳の時、カーネルが経営するレストランとモーテルが火事によって全焼してしまいますが、今度はサンダース・カフェの経営一本に絞って、再び再起を果たしたのでした。

65歳:高速道路建設によりホームレス状態に

カーネルの波瀾の人生はまだまだ続きます。1955年、コービンの町外れを高速道路が通るようになると、今度は人と車の流れが変わってしまい、カーネルの経営するサンダース・カフェに客が入らなくなってしまったのです。

カーネルは店を維持することができずに手放すことになり、負債を返済したカーネルの手元にはフライドチキンのレシピだけが残りました。この時すでに65歳になっていたカーネルには年金も支給されていましたが、とても生活できるような額ではなかったようです。

そして、カーネルは再び再起を誓って動き出し、ついにフランチャイズビジネスに着手したのでした。

73歳:KFCのフランチャイズが600店を超える

カーネルはフライドチキンのフランチャイズ化のために各地を回りましたが、わずかな年金でチキンとガソリンを買い、ホテルに泊まる事はできず、車中泊を繰り返していました。フランチャイズ化の普及も順調に進んだわけではなく、営業をかけて周ったレストランには1000軒以上も断られたそうです。

65歳を超えてから、車中泊をしながら営業活動を続けたカーネルの不屈の闘志は『凄い』としか言いようがありません。

そして、カーネルの地道な活動が功を奏し、1964年カーネルが73歳の時には600店舗を超えるフランチャイズ網が出来上がっていたのです。その後カーネルは経営の第一線から退いたものの、自分の製法が守られているかを確認するために世界各地の店舗を周り、会社の広告塔として働き続けていきました。

日本びいきだったカーネルおじさん

カーネルは日本にも1972年10月・1978年6月・1980年5月の3度訪れており、しっかりとマニュアル通りに作ってくれる日本のKFCが一番のお気に入りだったようです。自分でフランチャイズ化の営業をしていた時から、喉から手が出るほど契約が欲しかったにも関わらず、レシピを守らないレストランとは契約を解除するほどの徹底ぶりでした。

また、日本の店舗前に飾られている自分の人形も非常に気に入っていたと言われています。1980年5月に訪れた日本はカーネルにとって最後の訪問国となり、同年6月に急性白血病を発症して肺炎を併発し、12/16に90年の生涯を閉じたのでした。

カーネルおじさんから学ぶべき二つの人生哲学

カーネルおじさんこと、カーネル・サンダースは僕の尊敬する人物の一人でもあります。

僕がカーネルを尊敬する理由の一つ目は「顧客に最高のサービスをすること」という経営哲学です。

「お・も・て・な・し」という言葉が流行するように、日本は世界で最も素晴らしい接客で知られていますが、カーネルも似たような精神を持っていたというのが嬉しく感じました。ガソリンスタンドで行われている窓拭きサービスの考案者だったというのも驚きました。

また、二つ目の理由は、カーネルの不屈の闘志です。人生色々ありますので上手くいかない時もありますが、カーネルの乗り越えてきた壁と比べると、僕が抱えてきた苦難など小さすぎて情けなく感じてしまうほどです。

9月9日は『カーネルズ・デー』ということなので、そんなカーネルに敬意を表して、僕はケンタッキーフライドチキンを食べようと思います。

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