7月30日は梅干の日!梅干と菅原道真の意外な関係とは?

79.7月30日は梅干の日!梅干と菅原道真の意外な関係とは?

7月30日は、和歌山県みなべ町の株式会社東農園が制定した”梅干の日”です。

昔から「梅干しを食べると難が去る」と言われていたため、
「なん(7)がさ(3)る(0)」の語呂合わせになっているようです。

さて、そんな梅干ですが、学問の神様と言われている菅原道真
実は深い関係があるのをご存知でしょうか?

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梅干はいつから食べられていたのか?

梅は元々中国が原産で、梅干は梅酢を作った後の副産物であったようです。

そのため、本来は梅酢が消毒や漢方に使われており、
遣隋使の小野妹子が梅を日本に伝えてから、
現在のような梅干になったのではないかと言われています。

つまり、中国には紀元前600年ほど前から似たような物が存在しており、
日本では6~7世紀以降からということになりますね。

ただし、昔は塩が大変貴重なものであったため、
江戸時代になってから、やっと一般庶民の食卓にも並ぶようになったそうです。

梅干と菅原道真の意外な関係

菅原道真とは?

菅原道真は平安時代の貴族で、845年8月1日に生まれ、
903年3月26日に亡くなったと言われています。

道真が祀られている太宰府天満宮のある現在の福岡県太宰府市に来たのは、
左大臣の藤原時平に謀られ、左遷されたためでした。

そして道真の死後、暴風雨・落雷に加えて、藤原一族に不幸が相次ぎ、
朝廷は道真の霊を慰め災厄を免れるため、彼を祀ることにしたのです。

以降、大災害が起こるたびに道真の祟りとして恐れられ、
道真は”天神様”として信仰されるようになっていきました。

しかし災害の記憶が風化していくに従い、道真が優れた学者でもあったということで、
中世以降は現在のように学問の神様として信仰されるようになったそうです。

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飛梅伝説

菅原道真は梅の木をこよなく愛していた人物としても知られており、
太宰府に左遷されることとなった際に、次のような歌を詠んでいます。

東風吹かば 匂ひをこせよ 梅花 主なしとて 春を忘るな

これは、「東風が吹いたら、香りを起こして届けてくれ、梅の花よ。
主人である僕いなくなったからといって、春を忘れるな」という意味になります。

そして、飛梅伝説では、梅の木が道真の暮らす大宰府まで飛んでゆき
一夜のうちにして、その地に降り立ったと言われています。

また、この飛梅は、太宰府天満宮の神木として、
現在も毎年2月中旬ころになると、綺麗に花を咲かせています。

梅は食うとも核食うな、中に天神寝てござる

梅は食うとも核食うな、中に天神寝てござる

これは「生梅の種には毒があるから食べてはいけない」という戒めの諺ですが、
先にも書いたように”天神=菅原道真”となります。

つまり、菅原道真が梅好きであったことから例えられているわけですが、
熟していない生梅に含まれる成分は、人体の酵素によって青酸に変わり、
中毒症状を引き起こすと言われ、特に種の中の仁に多く含まれているようです。

確かに、僕が小学生の時にも、給食で梅干が出た時に種の中を食べるのが流行し、
それを誰かが親に「お腹を壊すから辞めなさい」と怒られたということが
ありましたので、地域や家によっては代々伝わっているのかもしれませんね。

ただし、実際には漬けることでその成分はほぼ消失し、
食べても人体にはほとんど影響がないとも言われています。

また、江戸時代には、「天神様が宿っている梅の種を粗末に扱ってはいけない」と、
太宰府天満宮に「梅干の種納め所」が設けられ、
この種納め所は、現在も残っているそうです。

まとめ

このように、梅と菅原道真に深い関わりがあったというのは、
僕も今回初めて知ったので、調べてみて非常に面白かったですね。

しかも、子供時代の梅干の種の中身の話にまで、
関わってくるとは思いもしませんでした。

ちなみに、梅干は日本が誇る健康食品であり、夏バテにも良いとされていますので、
今の時期に食欲が無いという方にはオススメです。

梅干を食べて健康な体を維持し、暑い夏を乗り切りましょう。

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