梅干しはいつから食べられていたの?菅原道真の意外な関係!

梅干はいつから食べられていたの?菅原道真の意外な関係!

梅干しは日本の伝統食と言われていますが、いつから食べられていたのかは、よく分からないですよね?また、梅干しは学問の神様と言われている菅原道真と深い関係があるのです。

今回は梅干しの発祥と、菅原道真との関係について書いていきます。

スポンサードリンク

梅干はいつから食べられていたの?

梅は元々中国が原産で、梅干は梅酢を作った後の残り物でした。本来は梅酢が消毒や漢方に使われ、遣隋使の小野妹子が梅を日本に伝えてから、今のような梅干になったと言われています。

つまり、中国には紀元前600年ほど前から同じような物が存在していましたが、日本には6~7世紀以降に伝わってきたということです。

ただし、昔は塩が大変貴重なものだったので、梅干しは江戸時代になってから一般庶民の食卓に並ぶようになったそうです。

梅干と菅原道真の意外な関係

菅原道真とは?

菅原道真は平安時代の貴族で、845年8月1日に生まれ、903年3月26日に亡くなりました。道真が、祀られている太宰府天満宮のある現在の福岡県太宰府市に来たのは、左大臣の藤原時平に謀られて左遷されたためでした。

道真の死後、暴風雨・落雷に加えて、藤原一族に不幸が相次ぎ、朝廷は道真の霊を慰め災厄を免れるため、彼を祀ることにしたのです。以降、大災害が起こるたびに道真の祟りとして恐れられ、道真は『天神様』として信仰されるようになりました。

しかし、災害の記憶が風化していくに従い、道真が優れた学者でもあったということで、中世以降は現在のように学問の神様として信仰されるようになったと言われています。

スポンサードリンク

飛梅伝説

菅原道真は梅の木をこよなく愛していた人物としても知られており、太宰府に左遷されることとなった時に、このような歌を詠んでいます。

『東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな』

これは「東風が吹いたら、香りを起こして届けてくれ、梅の花よ。主人である私がいなくなったからといって、春を忘れるな」という意味です。飛梅伝説では、梅の木が道真の暮らす大宰府まで飛んでゆき、一夜のうちにしてその地に降り立ったと言われています。

この飛梅は太宰府天満宮の神木として、現在も毎年2月中旬ころになると綺麗に花を咲かせています。

梅は食うとも核食うな、中に天神寝てござる

『梅は食うとも核食うな、中に天神寝てござる』

これは「生梅の種には毒があるから食べてはいけない」という戒めの諺ですが、「天神=菅原道真」という意味です。

菅原道真が梅好きだったことから例えられていますが、熟していない生梅に含まれる成分は、人の酵素によって青酸に変わって中毒症状を引き起こすと言われています。そして、特に種の中の仁に多く含まれているようです。

僕が小学生だった頃、給食で梅干が出た時に種の中を食べるのが流行しました。それを友達が親に「お腹を壊すから辞めなさい」と怒られたことがありましたので、地域によってもそれが伝わっているのかもしれませんね。

ただし、実際には漬けることでその成分はほぼなくなり、食べても人体にはほとんど影響がないとも言われています。

また、江戸時代には「天神様が宿っている梅の種を粗末に扱ってはいけない」ということで、太宰府天満宮には「梅干の種納め所」が設けられ、この種納め所は今も残っているそうです。

まとめ

今回は梅干しの発祥と、菅原道真との関係について書いてきました。

菅原道真は学問の神様としては有名ですが、梅干しと関係があったというのは意外でしたね。太宰府天満宮の飛梅も「梅干の種納め所」も、機会があればぜひ一度見てみたいです。

ちなみに梅干は日本が誇る健康食品ですので、梅干を食べて健康な体を維持していきたいですね。

スポンサードリンク

関連記事(一部広告含む)

サブコンテンツ

このページの先頭へ